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画家的サラリーマン感覚

知り合いにテレビで使用される油彩画の作品などを請け負って制作している人がいるのだが、その人より小耳に挟んだ話。

あるドラマの撮影で使用される油彩画を頼まれた、というのだが、描いている途中経過を表してほしい、ということで、画面の半分に描画し、画面の半分を白地のままに残すことを要求されたという。

これは、ブラウザでファイルサイズの大きな画像を読み込むときの感覚である。コンピューターは基本的には言語で構成されているものなので、例えば JPEG などの画像(ラスターイメージ)を読み込む時には、まるで文章を読んでいくように、左上から右下にかけて読み込んでいくわけだ(実際にはそのような読み込み方をしない画像の在り方も存在する(ベクターイメージ)が、それを読み込むためには、ブラウザではなく、表示・描画のためのグラフィックソフトが必要になる)。

だから、上半分に画像が表示され、下半分が全くの白紙状態になっている、という状況が発生しうる。

しかし、実際に油彩画を書く際に、「半分描いて半分白紙」などという描き方をする画家はいないだろう。書き方の方法は画家によって千差万別だが、概ね、画面全体を少しずつ描画していき、完成のイメージに向かって画面を少しずつ引き締めていく、というやり方だ。感覚としては、いわゆるプログレッシブJPEGやインターレースGIF(最初はぼんやりした画像が現れ、次第に画像が鮮明になってくる)のイメージに近い。

このことは、絵の書き方を知らない人間がそのドラマの撮影(や撮影の進行管理)を担当しているからこそ起こったことであるが、視聴者へのわかりやすさ、という意味においては、あながち間違っていないやり方、と言えるかもしれない。

視聴者のほとんどは絵を描かない人か、絵を自己表現として描こうとはしない人だろうから、プログレッシブJPEGのような「最初はぼんやりした画像が現れ、次第に画像が鮮明になってくる」方法を採用して、画家の本来の描画手法を採用するよりも、「画面の半分に描画し、画面の半分を白地のまま」の方が「ああ、未完成なんだな」という印象を持ってもらえるだろう。

なにしろ、現代のアートは、色と形を「写真のように描く」という頸城からは既に脱しているのだ。大雑把な構成のみを描画した段階の絵をテレビ画面で見せられても、「ああ、こういう絵なんだな」としか、思わないだろう。

これを残念なことと思うか、表現としてはそれが適切だと思うか...。

「最初はぼんやりした画像が現れ、次第に画像が鮮明になってくる」途中経過の表し方は、画家としては正しいが、映像作家としては正しくはない。

「画面の半分に描画し、画面の半分を白地のまま」の途中経過の表し方は、画家としては間違っているが、映像作家としては正しい。

さて、私はどちらの立場に立つのか、だが。

私は「画家としては間違っているが、映像作家としては正しい」側に賛成する。これはなんといっても、テレビドラマ、なのだから。

今回の件で、画家としては疑問に思うような描かされ方をしたのかもしれない。しかし、ギャラリーなどで同じ絵を販売しようと思った時に、自分の絵が売れるかどうかの不確実性への期待と不安に戦々恐々とする状態に比べれば、確実にお金をもらえる仕事をした、という意味では、自分の意のままにならないことがあることは、当たり前のことだろう。

ひとこと書き添えておくと、彼は、安定している、とはいえないにしろ、お金を確実にもらえる(昨今の経済失速で色々怪しくはなっているが)仕事をする、ということがアーティストに撮ってどれだけ難しいことかがわからないような画家ではない。彼は今回の作品でなにがしかのお金をもらったはずだが、それは「がまん代」なのだと、もちろん、彼はわかっているはずだ。

ただ、それでも、言いたくなってしまうものだろう。それは、サラリーマンがいつだって仕事上の愚痴を言いたい気持ちを抱えているのと、大して変わらない感覚なのである。