原始人類のアートはなんだろうと考えた場合、現存するものの中で一番古い「絵画」として双璧をなしているのは、フランスのラスコーの洞窟壁画と、スペインのアルタミラの洞窟壁画であろう。
そこに描かれているのは、いずれも1万数千年前の旧石器時代後期の「人間」によって描かれた、主に動物を中心としたモチーフである。当時の生活で容易に手に入るものだったと思われる土や木の炭などの固体をあるいは粉末を、獣脂や血などの液体と混ぜ合わせることで顔料を作り出し、それを壁面に直接塗り付けることで、絵画を制作したものと思われている。
1万年以上前の洞窟壁画が現存している理由は、それらが洞窟のはるか奥に描かれていたからであった。天候や温度の変化、光による顔料の変質や退色の発生しない位置に描かれているからこそ、鮮やかな発色が保たれ、一万数千年以上後の人間たちが、それを「絵画」として鑑賞することが可能となったのである。
しかしラスコーの洞窟壁画は、現在は鑑賞することが出来ない。理由は、観客の吐く二酸化炭素で洞窟内の空気の状態が変化し、画面の劣化が始まってしまったからである。また、空調設備を導入したことによりカビも発生もしてしまっている。これは、長年人間のアクセスがなかった場所に人間がアクセスしたことで発生する、当然の結果だと言えよう。日本でも、奈良県の高松塚古墳の劣化問題が、記憶に新しいところである。
つまり、この大きな歴史的価値のある「絵画」がその歴史的価値を保ったままで存在し続けるためには、けっして発見されず、人の目に触れない状態に置かれることが必要だったというわけである。
たしかに、作品の劣化との闘いは、美術館職員など、作品を所蔵し保管する側の人間にとっては、日常的なことである。温度管理や湿度管理などに細心の注意を払うのは当たり前のこと。色彩は光でも劣化をするので、光に当てて鑑賞することすら、本当は作品にとっては悪い影響を与えてしまうのである。絵画を保管するためになされている努力の大きさは忘れられがちであるが、神経をすり減らすような努力の上に、それは成り立っているのである。
制作した作品が「完成した」時点で、制作者にとっての闘いはひとつの区切りを迎えるのかもしれない。しかし、制作された作品にとっては、その作品が「公開」され、光と空気にさらされるようになってから、「劣化」との闘いが始まるのである。作品は「完成」などしない。制作者が勝手に、完成した、と思い込んでいるだけの話なのだ。
だから作品を少しでも良い状態で長くこの世に存在させたいと思うのなら、あなたはその作品を暗闇に閉ざし、温度や湿度の変化から隔絶し、外界から遮断して人に見せるべきではない。そうすれば、あなたの作品は光や温度の影響から逃れ、うまくいけば数千年から数万年の間、同じ状態を保つことが出来るであろう。
しかし、自分の作品を光の中に置き、様々な人たちの目に触れさせたいと思うのなら、変質のリスクを承知の上でそれをするべきである。展示場の照明や、鑑賞者のはく二酸化炭素によって、制作者によって固定されたように思われた画面は、どんどん変質していくのである。それはまるで、陶器などの工芸品が使われることによって、長い時間をかけて「味」を獲得していくのと同じようなものである。
作品は、自分ひとりの力で存在し続けるわけではないのである。「完成」した後は、それが展示される場所や、そこに来た人たちがその作品に干渉し、作品は常に変化し続けるのである。


