『音無の震動』緑色に染まった空気が涼しげに私の頬を撫ぜる、木漏れ日の射し込む森の中のひっそりとした墓地の中に、私は佇んでいた。足下の軟らかい湿った地面には、艶やかな茶色の団栗が、所々土に半分埋まるようにして落ちている。昨日までの雨で軟らかくなった土は私の体重を受け止めきれず、くっきりと刻印された靴跡が、私の背後には点々と続いていた。 此の場所には、音が無い。否、一切の震動が存在しない。生命があれば空気も震えよう。しかし、此の場所はかつて生命であったものが眠る場所であり、もし今ここに震えるものがあるとすれば、それはただ私の内なる感情のみであった。だからこの場所全体が静かに、時が止まったかのように、重く沈黙を保っているのである。 私はこの空間に完全なる安らぎを見出した。幾つのも道を歩き、私が探してきたものが此拠には存在する。しかし、この場所を見出した私の心は、此の場所に相応しく安らぐというよりは、激しく震えているというのが本当のところであった。安らぎの場所を見つけたというのに、自分の願望が叶えられた興奮に、私の心は一向に休まることが無いのである。安らぎを求めれば求めるほど、何故にこんなにも心は震えてしまうのだろう。 精一杯に生き、果敢無くも、しかし長らく震えてきた生命が、此の場所の立ち並ぶ沢山の石の下に眠っている。緑青、深緑、灰緑。常盤、麹塵、翠。私の目の前には、ありとあらゆる緑色の苔に覆われている、横倒しになった墓石がひとつの小さな草原(くさはら)を作り出し、その草原の只中に一輪の露草がひっそりと咲いている。草原の端からは光に透ける蜘蛛の銀糸が伝い、細蟹(ささがに)のような蜘蛛が、小さく白い身体を危な気なくその上に乗せ、時折吹く微かな風にその身体を揺らしていた。一匹の羽虫が、生死の境界線を引きかねないその銀糸の脇を摺り抜け、露草に止まった。 苔は宿り身の存在である。生ふる苔は、絶えず震え、安らぎを求める生命そのものではない。安らぎを求める生命に休息を与えるものである。もう震えなくてよいのだ、もう休んでよいのだと。そして長い年月の間に、生ふる苔によって生命の震動は完全に止まり、悲しみさえも、忘却の彼方へと立ち去って行く。その後にまた震動が生ずるのは、ただ私のような生命の震えを求めて止まない者がそこに訪れたときのみである。 目の前の切り立った崖の、硬い筈の岩盤の中を通って割れ目から生える蔦が、岩盤を刳り抜いて作った墓標に絡み付いていた。蔦を目でたどっていくと、岩盤から微かに水が染み出しているのが見えた。岩の割れ目からひたひたと落ちる水滴の音が、一定の間隔を保っていた。 そしてその瞬間、無音であった筈の、静止した世界は音を立てて動き出した。 それは紛れも無く震動であった。水が流れ、蔦は硬い岩盤を貫く。その静かなる震動こそが、安らぎなのである。この場所の時間が止まっていたのではない。私が、この場所が静止することを心の何処かで望んだのである。だからこの場所は、私の内なる感情が震動するのみを顕にし、あたかも静止しているように私を包み込み、心の奥底で願ったからこそ、私は此の場所が動いているとは知覚せず、水のひた落ちる音が私の聴覚に染み入ることも無かったのである。つまり私の願いは、自分の心の働きによって、最上の形で叶えられたのである。
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