『別れの挨拶』
喫茶店で、偶然にも中学、高校時代の友人にあった。 実は彼の勤務先は私の仕事場の最寄り駅の南側に位置しているので(ちなみに、私の仕事場は北側に位置している)、彼も私も最寄り駅を同一とした同じ地域内で毎日のように働いている。しかし、それでも彼とは、一向に会う機会がないのである。下手をすると、偶然出会うまでは数年会わないままのこともあるくらいだ。携帯電話やメールの普及した時代には、何とも不器用なことだが。 しかし、私にとって彼は、間違いなく親友、と呼べる人間である。たとえて言うならば、彼は陽の気を原動力として生き、私は陰の気を原動力として生きる、しかしある意味では、トランプの表裏のように本質的な部分を同じくした、そういう間柄なのである。そして不思議なことに、彼も私同様、英語講師をしている。もっとも、彼の場合はネイティブに近いので、当然、私よりもスピーキングは得意なはずであるが。 前回彼と会ったのは、ほぼ間違いなく1年以上前のことだったと記憶している。ずいぶん、ご無沙汰してしまったわけだ。しかし、本日の彼には仕事場の同僚という連れがいたので、私と彼は、ほんの数分だけの時間を、立ち話で共有することとなった。以前と全く変わりなく、中学や高校の頃と変わらない仕草で話す。数年に1回合うだけの中であるということが、まるでウソみたいだった。また明日学校に行けば、あいつはまだそこにいて、まるでまた一緒に勉強をはじめるかのような。 私と彼は、それぞれ別の席に座った。彼には連れがいたからである。そして私はさっさと食事を済ませ、喫茶店を後にすることとなった。ちなみに、これはいつもの方針だ。だらだらと長居するのは、好みではない。私にとって飲食店は、基本的に休息の場ではないのだ。 帰りがけに、ふと彼のいる席の方へ顔を向けてみた。 …ああ、変わらないんだな。あの仕草は。あれは、あいつが熱く語っちゃう時の仕草だ。 充実した気分だった。喫茶店を後にした私は、彼と別れの挨拶すら交わすことをしなかったが、それでも、彼とはまた会うことになるだろう。それがたとえ何年か先になったとしても、たとえ職場や境遇が違ったとしても、私と本質的な部分を同じくした彼が、以前とは変わらないままで、真っすぐにどこかで生き続けてゆくのを、私は多分理解することができるだろう。 彼と次に会うことになったその日が、それが、私にとっての「明日」になる。時間の流れなど、どうでもいいことなのだ。それで私は、別れの挨拶をする必要性を感じなかったのかもしれない。 2005年07月29日
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