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『懐中時計』

腕時計ってやつが、どうにも性に合わない。

時計がないと困る場面も多いし、個人的に携帯電話を人前でいじることには(特に、誰か他の人と一緒にいる時に)抵抗感と恥ずかしさを覚えてしまうタチのため、携帯電話の時計でまかなうというわけにもいかない。近年は SUNNTO のコンパスつき時計を妙に気に入って使用していたものの、やはり違和感は拭えなかった。

仕事場に行けば、真っ先に腕時計は外して、机の上に置いてしまう。私が腕時計を腕につけて使用するのは、結局は家から仕事場までの移動時間だけである。外出するときは、移動が主になるので自然と腕時計をつけている時間が長くなるが、店などに入ってしまえば、やはり腕時計は外してしまう。結局、私は時計を腕につけるという必要性が、まるでないのである。

そこで私が好むのが、懐中時計である。

昨日、懐中時計が手元に届いた。手巻きの機械式懐中時計である。定価の4分の1程度の値段で購入したものだが、それでもそれなりに値の張った買い物だった。毎年この時期は、仕事が妙に忙しくなってしまうことへのストレス解消のためか、高い買い物をしてしまうことが多いのだが、今年はそれが、懐中時計だったというわけだ。

さすがに英国の名門の会社の製品だけあって、質感は高い。文字盤の数字は、私の好みであるローマ数字。昼夜を分つ、小さな太陽/月の表示。文字盤に空いた小窓からは、円形の振り子のような部分がちかちかと動いているのが見える。耳に時計を当ててみれば、こちこちという、小さく時を刻む音。

それが、ものすごくいいのだ。

まるで、小さな生き物のようだ、そう思う。時を刻むという一つの目的のために、目からも、耳からも、私はその懐中時計が小さく自らの本分を果たしている証を感じ取ることができる。これはもう、たんなる無機質な機械ではなく、一生懸命生きている、私の小さな友達のようなものである。私はその小さな友達が時を刻むというその本分を果たすために、毎日ねじを巻いてやらなければならないが、それこそが愛着というものに、なってゆくのだろう。

機械式時計ってやつは、クオーツよりも誤差が激しいらしいが、それはそれで良いのではないかと思っている。なにせ、この懐中時計くんは、小さく生きているのだから。

生きて息づいていれば、何かがずれてくるのが、当たり前のことなんだから。

2005年07月24日

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