『なみうちぎわ 』あの頃は、波打ち際にたくさんの夢が眠っていた。 例えばある朝、ちょっと大人たちより早起きして、まるでいたずらが見つかることを恐れるようにそっと、ぴしぴしと鳴るスリガラスの扉を開けて、サンダル履きで外に出たときの開放感、足早に急いで向かう海岸、時折通る車に気を配りながら、岬の向こうに出たばかりの太陽を見つけ、止まってしまったような空気の中を走ってゆきたくなる高揚感、ぱたぱたと道をはねてゆくサンダル、堤防の階段を下りると、白い砂は柔らかく、一歩一歩を踏みしめて、真っ白な泡がやってくる波打ち際まで、黒く濡れた砂の上には、今日は何が眠っているのだろう、どんなおもちゃが落ちているんだろう、踏みしめた足元から染み出る海の水、柔らかく盛り上がる砂、波の音のリズム、それに合わせて行ったり来たり、足の先を濡らさないのがゲーム、真珠色に輝く貝殻、くたくたになった海藻、埋もれてしまったビニール袋、大人から見ればただのゴミ、そんなものを次々と、拾い上げては喜んで、まだ若い太陽にかざして、小さなポケットの中をいっぱいにしたあの頃は、何であんなに夢がいっぱいあったのだろう。 大人になってしまったら、太陽はもう金色には輝いてくれない。海の波も、ただ寄せ手は返すだけの、それは日常のリズム。サンダルを履いていても、濡らすのを厭う足先。多分貝殻の真珠色より、輝いている色に囲まれている生活。打ち上げられた海藻なんかよりも、もっと色とりどりのはずの食事。コンビニのビニール袋なんか、いくら捨てたって別に何とも思わない。柔らかい白い砂は不安だ。アスファルトの方がいつだって安定しているじゃないか。人より早く起きたって、どうせ今日も仕事があるし、まだ寝ていた方が、本当はよかったのではないか、そんなふうに。 大人になってしまったら、何もかもゴミに見える。あの頃、たくさんの夢が眠っていた波打ち際は、今、何でこんなにも汚れているのだろう。 …それはたぶん、今の暮らしのために捨て去ってしまったものだから。
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