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中島みゆき

CDalbum  私が中島みゆきに本格的に接するようになったのは、ごく最近のことだ。初めて手に取ったアルバムは『親愛なる者へ』。彼女の心の奥底から響かせるような歌は、私の心を真っすぐに捉えた。斬新な音楽ではないかもしれないけれど、私にとっては、「歌」というものの力を本当に感じさせてくれる、数少ない日本人ミュージシャンだといえる。

 こうしてアルバムを並べてみると、赤と黒が多いことに気付く。赤は血の色。黒は、たぶんものすごく濃い赤なのではないだろうか。中島みゆきは、人間の奥底を流れている「血」の部分に直接触れることのできる、希有な存在なのだと思うのである。

1976年 1976年 1977年 1978年 1979年 1979年
1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年
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CD 推薦

 中島みゆきのアルバムには、赤と黒が非常に多く使用されている。赤はとても濃い赤で、たぶんそれは火の色ではなく、「血の色」なのだろう。人間であれば誰しも肌の奥には赤い血が流れているが、普段はそれを目にすることはない。普段人間が見ている血の色は、皮膚や皮下脂肪、筋肉の色を通して和らげられた赤、つまり肌色である。

 中島みゆきは、たぶん人間の奥底にある、どす黒く真っ赤なものが見えてしまう人なのだろう。普通の人が目を背けたくなるような奥底の部分にある真っ赤なものを、いつも直視してしまうのではないだろうか。たいていの人は皮膚を通してしか血の赤を見ることはないが、本物の血の赤はあまりにも扇情的で、ほとんどの人間にとっては直視するに耐えるものではない。だから、人間の奥底にある真っ赤なものを見ようとすれば、自分を傷つけるしかないのである。

 他の人に見えない部分が見えてしまう人というのは、社会生活を送るにおいては有利な点があることは否めないものの、実は想像以上に苦しみながら生きていることがある。そしてその苦しみを自分の中から出そうとして、自分自身を傷つけ始め、自分の奥底の真っ赤なものを外に出すことで解決を図ろうとする人もいる。しかし、苦しみを和らげる方法は、それだけではない。

 赤ん坊のように無邪気になる、それがもう一つの解決策である。まだ皮膚の薄い赤ん坊は、その名の通り、身体の奥底に流れている真っ赤なものが、薄い皮膚を通して見えてしまう。そうやって血の赤さを丸出しにした赤ん坊はしかし、決して苦しむということがない。そして、まるでそんな赤ん坊のように無邪気になることで、多分に苦しみが和らげられることがあるのである。

 もちろん、少年や少女、大人になってしまえば色々なことを知り、赤ん坊と同じような状態では生きていられなくなる。しかし、他の人には見えないものが見えてしまった人の中に、赤ん坊のように無邪気になることでその苦しみを打ち消している人がいることを、私は知っている。例えば中島みゆきの歌に、私は苦しみと同時に、赤ん坊のような無邪気さを感じるのである。そして私が私淑している良寛にも、同じような苦しみの果ての無邪気さのようなものを感じるのだ。

 自分の周りに、無邪気な人はいますか?その人は本当に、何も知らないから無邪気でいられるのだろうか?私は無邪気な人を見るたびに、子供のような心を持った人を見るたびに、その裏にある苦しみを考えてしまう。そして、邪気のある人たちが、身体の奥底にある真っ赤なものを分厚く真っ白な脂肪で隠しながら、まるで自分が善人であるかのように生きているということを考えてしまう。

*以下のリンク先に掲載されている文章は、本サイト管理人が書いた文章表現のうち、 中島みゆきの曲の CD 紹介を伴ったページへのリンクとなっています。

CDalbum  中島みゆき "回帰熱" 1995年

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